東京遠征日記平成18年1月27日
農林水産省政策駐村研究員 最後の情勢報告


出発1月26日 富士山に見送られて
 昨年と同様会議前日は妻の実家である山梨県から高速バスにて東京新宿に向かいます。今日も富士山は綺麗である。

 昨日25日はお米の配達をしながらここ山梨県まで移動。配達の先々で明日の激励を受けながらの移動であった。この日を迎えるまでに大変な苦労があった。4日間家を空けることはこの農閑期であってもかなりのしわ寄せがありました。


 他の研究員さんは暇な時期なのか毎年この時期に開催されます。給料をいただいている身ですから無理しても行きます。
宿探し
 
 
去年と同じ宿を目指して新宿から移動です。明日も新宿から最終の高速バスにて妻の実家まで移動するため会場最寄り駅であるJR京浜東北線上中里駅の中間にある池袋駅北口の東横イン。
 泊まった翌朝に新聞沙汰になるなんてー。

 
部屋は狭いと感じていましたが違法建築だったとは驚きです。でも値段は安かったのですが、社会的には利益追求は悪に映ってしまうのでしょう。社会貢献を考えない組織はこうなる運命なのだと後ほど悟りました。
 

 平成15年の12月テレビで放映されたラーメン屋へ昼食に行きました。昨年も行こうとしたのですが見当たらず断念しました。なぜかテレビ放映された当時とは違う場所に移動してました。今回は25日に名古屋市内の書店にて場所を確認しました。ラーメン激戦区池袋厳しい競争があるのは知ってましたが食べに行って事情が分かった気がしました。流行すたりがある業界、何か切なくなりました。 。

 食品に携わる職業は流行に影響されやすい部分はたくさんあるとあると思いますが、自分自身周りから持ち上げられることに対しての危機感を覚えました。周りから影響を受けない物を確立しなくてはと身を引き締める経験になりました。
東京に来た かっぱ橋食品サンプル屋
かっぱ橋食品サンプル屋  今回が東京出張最後であろうと思い、今日しかないという思いから行きたい場所へ行きました。何と上野駅近くのかっぱ橋商店街へ行きました。西の千日前東のかっぱ橋、調理器具などの商店が一堂に並んでいます。なぜかっぱ橋までわざわざ来たのか、それはこちらにしかない物を探しに来たためです。

 日本古来からある餅は各地で食文化を彩る物となっております。同じ餅でも岐阜県関ヶ原市を挟み東側は伸し餅西側は丸餅となっております。我が家は昔から丸餅のみを作っておりましたが、最近米の販売に伴い伸し餅の需要が東側で大きく伸びております。今回伸し餅を作る器具などを探しに来ました。伸し餅の器具は関西には売ってません。やはり他の文化を押し付けるのは良くありません。地方に根ざした文化に沿って商品を作らねば。
集え首都東京
 最後だと思い大学時代の先輩に連絡したところ東京にいる面子で新年会を開催することになりました。最後まで段取りをしていただき、不慣れな東京で迷わずに出席出来ました。同窓生4人で新宿の高層ビル50階で宴会です。ついつい明日のことは忘れて飲みすぎました。久々に良い刺激を受けました。参加していただいた方に感謝感謝であります。
原稿棒読みまたもや晴れ日
 さすが東京、北陸地方とは違い晴れ日が多いのでしょう今回も晴れ日。久々に山手線の満員電車に乗りました。朝から新聞を読んで嫌な気分になりました。一面に東横イン不正改造。
 昨日の酒が残っているのか、発表する時間が30分と短かったのか渾身の原稿が伝わらずじまい。棒読みで終わりただ反省するばかりの情勢報告でした。
研究討議 怖いもん無くなった
 5人の報告が終わり次第、報告への質問やテーマを決めての討議が始まりました。やはり日本の農業をどうするかとういうことに関わり、真剣な議論の場になりました。今回この駐村研究員制度が終了し会議自体最後となり後に活かせるかどうか分かりませんが活発な意見のやり取りがありました。
 
 会議の熱いやりとりが私を目覚めさせ言っていいかとずっと悩んでいたことを発言しました。内容については農林水産省政策研究所HPにて議事録が掲載されますので、公の場で最後の花火を上げた形となりました。この後私と同じ研究員の方々から励ましや賛同・お褒めの言葉をもらいました。
活かす
 最後に私自身の経験として国の農政に少しばかり足跡を残せたような満足感がありました。今後このような機会があっても物怖じせず発言出来そうです。今までも正直に発言してきましたが、国にたてついたことではなく自分自身が歩んできた道に自身が持てました。
ホームへ戻る